訪問や外来、病棟で精神疾患のある方と関わっていると、「難しいな」と感じる場面を経験された方は少なくないと思う。
約束通りに来られない。
説明しても伝わらない。
急に怒る。
逆にまったく感情を出さない。
支援者としては良かれと思って声をかけていても、関係がうまくいかなくなることもある。
ただ最近、そういう場面で感じるのは、「難しい」の正体は、本当に相手の問題だけなのだろうか、ということである。
リハビリ職は、「できないこと」を見つける専門職でもある。
だから無意識に、「こうした方がいい」「普通はこうする」「社会的にはこうあるべき」
という視点で相手を見やすい。
もちろん、それ自体が悪いわけではないし、生活を整えることも、再発予防も大切である。
ただ、精神疾患のある方への支援では、その正しさが強すぎると、本人のしんどさが置き去りになることがあると感じている。
以前、ある利用者さんがこんなことを話されていた。
「みんな、“ちゃんとしなさい”って言うんですよね」
「服薬を忘れないようにしてくださいね。」
「働けるようになるといいですね。」
「人に迷惑をかけないようにしないといけないですよね。」
たしかに全部正論だと思う。
ただ、その働きかけは、その人にとって「またできていない自分を確認される時間」にもなっていたのではないだろうか。
精神疾患のある方の中には、長い間、「普通」に合わせようとして疲れ切っている人が少なくない。
だからこそ、支援者側が「どう変えるか」ばかり考えていると、関係性が苦しくなる。
むしろ大事なのは、「なぜそうなるのか」を理解しようとする姿勢なのだと思う。
例えば、約束を守れない背景に、不安の強さがあるかもしれない。
人との距離が近すぎるように見えるのも、孤独感の裏返しかもしれない。
表面の言動だけを見ると、問題行動に見えることでも、その奥にはその人なりの理由がある。
精神科領域に関わるようになってから、自分自身の「○○すべき思考」にも気づかされることが増えたような気がしている。
時間は守るべき。
働けるなら働くべき。
感情的になるべきではない。
しかしながら、その価値観を強く持ちすぎると、相手を理解する前に「評価」してしまいがちになってしまう。
支援者も人あるので、イライラすることはあるし、苦手だと思う相手もいる。
大切なのは、そう感じてはいけないことではなく、「なぜ自分は今そう感じたのか」を振り返ることなのだと思う。
精神疾患のある方への支援は、すぐに結果が見えるものではない。
むしろ、雑談ができた。
少し表情が和らいだ。
休まず来られた。
そんな小さな変化を一緒に喜ぶ関わりの積み重ねなのかもしれない。
リハビリ職は、機能を回復させる専門職でもある。
ただ、それだけではなく、「この人が地域でどう生きていきたいのか」を支える視点が、これからますます求められていく気がしている。
「治す」だけではなく、「その人がその人らしく生活できること」を支える。
精神疾患のある方との関わりは、その原点を改めて考えさせられる領域なのではないだろうか。







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